ダ性でいきたい。

頑張らないを真面目に考えてる面倒な人の帳面。

腕の傷。

 唐突に触れがたい話を吐露する。

 

 こういう話って語りがたいのだけど、私の腕には傷ある。所謂リストやアームカットの跡。薄いものから縫った跡もくっきり開いたまま残った跡もある。

 高校の終わりくらいから成人して少しの期間やってたと思う。

 だから20代の頃は仕事や家族の前では半そでは着る事は無かったし、持ってる服はほぼ長袖。今は目立たなくなった(気がしてる)から、腕まくりくらいはするようになったけど、やっぱり仕事じゃ絶対半そでは無理。見る人が見れば気づく。

 

 なんで突然こんな話をし始めたかと言えば、今日見かけた女の子の腕が真っ赤だったから。

 丁度私がやってた時期と年齢が重なるなって。胸が苦しくなってしまった。

 当時も今も、なんでそんな事をしていたかの明確な理由は無いし、見つかっていない。

 自己肯定感がとにかく低くて自分が嫌いで仕方なかった事だけは知っているけど、〇〇が理由でやってます。と言い切れるものは無かった。

 別に死にたいと言うわけでもなかったし。消えたい願望は常にあったけど。

 少し前に読んだ本、ストイックな筋トレを趣味にしてるマッチョなおねぇが出てくる小説なんだけど、筋肉を虐めて辛い思いをするのは内側の痛みを肉体的な痛みとしてとらえるため。みたいな事を語ってて、もしかしたら無意識にこういう事を身体を痛めつける事でやってたのかな?とは最近思う様になった。

 人間、分からない事は不安だから。心がいたんでるんじゃなくて、肉体が痛いんですよ、これは。って理解して安心してたのかもしれない。

 何にせよ、やっぱり体を自分で傷つけるって心からの何かしらのサインなんだと今なら分かる。ファッションリスカとか、そんな言葉も今はあるけども。

 けど、これを10年前の自分に言ったところで理解はできないと思う。気づくしかないのかなって。

 見かけたあの子も、いつか自分なりの気づきや答えに出会えて、ゆっくりでもいいから向き合えるようになってくれればいいな。なんて、偉そうな事をついつい考えてしまいました。

 それと筋トレが自傷だとは思っていないので、そこはご理解を。

 

 なんか思い出して語って居たら物理的に胸が痛くなってきてしまった。

 蓋をしたい見ないようにしてる昔を振り返るって、かなり心に負荷がかかるんですね。

 ストレスかかると左胸が痛くなるんですが、これはなんなんだろう。

 病院で見て貰っても何も問題がなくって。でも痛む時はこのまま心臓破裂するんじゃないのかってくらいに痛む。

 本当に弱っちいな。事があれば胃を痛めてお腹を下して胸が痛くなってしまう。

 ま、腕に傷がある事もヨワヨワのヨワである事も含めて私なんで、それはそれでやってくしかないんだけどね。

 今は自分の事、嫌いじゃないしね。